涸沢小屋とは

About karasawagoya

北アルプス穂高連峰に囲まれた
涸沢カールにあります。

TEL 090-2204-1300
FAX 050-3730-9248

AM8:00~PM7:00

涸沢小屋の特徴

涸沢カールは、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳と3000mを超える穂高連峰にぐるりと囲まれ、太古より氷河によって作られたカール地形が特徴の、日本を代表する山岳景勝地です。
 その欧米の国立公園かと見間違えるようなスケールの大きさと、トレッキング、クライミング、ボルダリング、スキー、キャンプとレベルによって自由に楽しめる懐の深さで、登山者の聖地として賑わってきました。
 涸沢小屋は、涸沢カールを見渡す標高2350mの南斜面に立つ、三角屋根の明るい小屋です。こじんまりした小屋ではありますが、山を愛するお客様方と明るいスタッフが作り上げてきたアットホームな雰囲気が特徴の山小屋です。
 穂高連峰登山の拠点として、また気軽に立ち寄れる休憩場所として、多くの登山者に愛され続けています。

涸沢の四季 ~KARASAWA Four Seasons~

春 ~spring~ 

 涸沢の春は4月中旬、10mを越える積雪に埋まった小屋を掘り出す小屋開けから始まります。
 山小屋の営業開始は4月下旬からで、ゴールデンウィークには、たっぷりの雪の斜面を登降する、春山登山のメッカとして賑わいます。
 また豊富な積雪とバリエーションあふれる多くの斜面で、7月初めまで楽しめる山スキーの拠点としても親しまれています。

夏 ~summer~ 

 梅雨が明けると、夏山登山の季節の到来です。例年7月末くらいまでは登山道上に積雪が残ることがありますので、状況をご確認の上、必要に応じてアイゼンなどの装備をお持ち下さい。 
 残雪の消えたところからは続々と高山植物が色とりどりの花を咲かせ、いたるところにお花畑が出来ていきます。夏山登山の醍醐味と言えるでしょう。

秋 ~autumn~ 

 9月に入ると夏の喧騒も過ぎ、穏やかな秋山登山のシーズンになります。
 そして9月末からはいよいよ涸沢最大のハイライト、紅葉の季節がやってまいります。雄大なカールを埋め尽くす涸沢の紅葉は、そのスケールと色鮮やかさで、山岳紅葉の代名詞ともなっています。
 紅葉時期は例年9月下旬から10月上旬くらいですが、年によって前後します。また紅葉のピークを狙ってお客様が殺到するため、この時期の山小屋は大混雑いたします。当小屋でも定員の何倍ものお客様を受け入れざるを得なく、お客様には大変なご不自由をおかけします。 
 また、紅葉時期は秋と冬との季節の境目でもあり、天候によっては山は瞬く間に冬山になり、3000mの稜線への登降は大変危険な状態にもなります。
 状況をよくご理解の上、山行計画をお立て下さい。

冬 ~winter~ 

 山の冬の到来は早く、紅葉の時期が過ぎると稜線はうっすらと雪化粧になります。涸沢の小屋も11月初めの文化の日を最後に営業を終了し、山は雪に覆われた原始の季節に戻ります。厳冬期の涸沢は、四方八方から雪崩の押し寄せる文字通り雪崩の巣で、安易な立ち入りは危険です。
 涸沢では当小屋の向かって左側に緊急避難用の冬季小屋がありますが、厳冬期にはそれも雪に埋まってしまいます。

涸沢小屋の歴史 ~伝統ある涸沢小屋の歴史についてお話します~

岩小屋時代から涸沢小屋建設へ(涸沢小屋創世記)

涸沢の岩小屋は崩壊して現存していませんが、
多くの文献でその存在は良く知られています。
その後も狩猟の為、ほったて小屋程度はあったそうです。

昭和初期、上高地山案内人組合が涸沢小屋の建設に乗り出しました。
当時、上高地山案内人組合の中心的存在であった、村上守氏(前涸沢小屋社長、奥原広次の叔父で西穂山荘前社長)によると、横尾谷・本谷橋を渡った屏風岩下部から材木を切り出し、組合員の背によって涸沢に運び込まれた。
この用材を翌年秋まで乾燥させて、木挽きに取りかかった。この間、並行するように北穂南稜基部、現在の涸沢小屋が建つ場所で整地作業が始まった。

ここで何故、この広い涸沢カールの中で小屋の建設場所が、北穂南稜基部になったかというと・・・・
考えてみてください。

第一に、みなさんなら家を建てるときどうしますか?まず安全である事ですよね。
つまり涸沢の安全といえば、雪崩が来ない事ということです。涸沢小屋は背に高さ約50メートルの岩壁があり、雪崩の通る道は、アズキ沢と北穂沢に分かれます。 もし雪崩がきても、その岩が守ってくれる天然のフェンスがあるわけです。

第二に、地盤がしっかりしている事。どんなに立派な建物を建てても、
土台がしっかりしていないとダメです。
その点涸沢小屋は、岩盤の上に建っていますので、非常に安定しています。
1998年の上高地群発地震の時、登山道や山小屋の被害が相次ぐも、涸沢小屋は全くといっていいほど、被害がありませんでした。

第三に、南向きであるということです。涸沢小屋は南向きです。谷間の小屋でここまで日照時間が長いのも、当小屋だけでしょう。南向きは、積雪が少なく雪解けも早いという事です。しかも秋の寒い日でもぽかぽか。日向ぼっこができます。

第四に、ライフラインです。涸沢小屋はすぐ横に水場があります。

つまり、北穂南稜基部が絶好の立地条件だったわけです。
山案内人達が建てただけあって、自然の理に適っていたんですね。

涸沢小屋の発展(涸沢小屋青春期)

管理にあたったのは、故・奥原茂樹氏(前出、村上守氏の実兄)奥原広次の父親である。
親子ともども上高地山案内人に所属し、茂樹氏は以前、岩魚止め小屋も管理した事があった。
そして、上高地山案内人組合の所有であった小屋も、昭和33年にその営業権を茂樹さんが譲り受けた。
親子で経営し始めて間もない頃、昭和34年12月に茂樹さんが急逝、後には奥原 広次一人残された。
翌年からは、案内人組合の力を借りながら経営を続けた。
しかし、冬季間積雪が多い涸沢に建設された小屋は、各所に老朽化が目立ち始め、昭和39年に立て替えとなる。
上高地の庄吉小屋裏から切り出した資材を徳沢経由、ヘリコプターで荷揚げした。しかし、翌40年に雪の重みで新築の小屋が傾き、1年通じてこつこつと作業が進められた。ここに2代目涸沢小屋の誕生である。

それから間もなく、後の番頭となる義弟の、新井浩夫氏が入り、10年近く勤める事となる。市橋忠勝氏、居候の杉村隆正氏がそろい、この四人が中心に、若く楽しく、そして明るいアットホームな山小屋を作っていったのである。

奥原広次会長は、昭和9年安曇村島々生まれ。始めて涸沢の土を踏んだのは、昭和30年ごろ、西穂から奥穂を越えて涸沢経由で登山客を案内した時です。
その後は、歩荷仕事で涸沢によく荷揚げしていたとのこと、そして昭和34年に父と涸沢入りを果たした。

涸沢小屋の現在

それから数多くの人が訪れ、数多くのドラマがありました。
小屋も少しずつ古くなり、そして平成12年、3代目のの小屋を建てるため、工事に取り掛かったのです。
その中に、まだ小屋番とは似つかない、なれない手つきで大工仕事をしている新人が・・・・
現社長 芝田洋祐が必死に働く姿がありました。
芝田洋祐が涸沢に来たのは平成11年、その年のお盆に降った大雨が、その雨が彼を社長に変えてしまったのです。
当時、大手コンピュータメーカーに勤めていた芝田は、会社の仲間に誘われ、涸沢に行く事となりました。
涸沢小屋に泊まり、穂高を満喫したところで、大雨が降り道路が閉鎖されてしまった。
同行の仲間は涸沢小屋のOBで、会長と親しかったため、島々の奥原家にお世話になり、そこで奥原広次の長女、綾子さんと出会うこととなる。そして二人は結婚し、会長とともに二人三脚で小屋を運営するようになりました。

話が少しそれましたが、こうして3代目の涸沢小屋が平成13年に完成となりました。

現在の涸沢小屋は、自然が好き、山が好き、そして山が好きな人が大好きな平均年齢26歳という若い小屋番が頑張っています。
そして穂高と穂高に訪れる登山者の為、楽しく・明るく、
何より芝田を中心に笑顔を耐えない小屋にするために日夜努力しているのです!!

この小屋は、今回では書ききれないほどの人たち、そして書ききれないほどの汗と涙と熱い思いが現在の涸沢小屋を作ってくれました。そして今、私達も作っていくと思います。書ききれないほどのドラマを。

なぜなら僕達は穂高涸沢小屋の小屋番なのですから・・・・・・。
これからの涸沢小屋に、乞うご期待!!

涸沢小屋 涸沢小屋

北アルプス穂高連峰に囲まれた涸沢カールにあります。

TEL 090-2204-1300
山小屋現地:〒390-1516 長野県松本市安曇上高地 4469-1
冬期連絡所:〒390-1502 長野県松本市安曇787-11 
予約受付時間:AM8:00~PM7:00